先日、ある雑誌の編集のかたから「モノ継ぎを小さく紹介したいので取材したいのですが」と言う連絡をもらいました。
30分ほど電話で質問に答えていただけなのに、自分でも忘れていたような「私の活動の原点」がみるみる蘇ってきたことにびっくり!
人に話すと言うことは、普段無意識に考えて行動していることを思い起こす儀式のようなものなんだ、と言うことを再認識しました。
たまには、話さなくちゃな。。。
2011年の震災時。
6才と4才の保育園児を抱えながら、陶芸の仕事と家庭のこととようやく形になりつつあった漆での直しの勉強と大好きなお酒と、忙しいながらも楽しく日々過ごしていたように思います。
そして3月11日。
あの日を境に、日本中の人々が自分のあり方を見つめ直したと思います。
自分の無力さに絶望し、日本の未来を悲観していた時に、函館在住の尊敬している現代美術家の方から、「アーティストに出来ることで復興支援するぞ!参加しろ!」(注:もっと丁寧な言葉で)と言う誘いを受けました。
こんな非常時に作品作ってる場合じゃない。じゃー器を作る?いや、器作る人はごまんといるし、ましてや陶芸はエネルギーも時間もかかりすぎるし…、と参加を躊躇した時、
「あ、私に出来ることあった…今までワレもの直しまくってきたじゃん。それを生かそう。まだ金継ぎは完璧ではないけど、ワレ物修理ならできる!」
どんよりとした暗闇に一筋の光がさした思いでした。(大袈裟?)
以前から決めていた「ココロ継ぎ」と言う屋号はあっさり夫に却下され、ニュートラルに「モノ」を「継ぐ」と言う意味で「モノ継ぎ」と言う屋号を掲げました。
そして、これも微力すぎて人に話したことはあまりないのですが、日本産の漆を使うことで、小さな小さな東北の支援をしています。と言うか、しているつもりでいます(小さすぎてすみません…)。
その復興支援イベントに貢献できたかと言えば、金銭的には全く出来なかったと記憶しています。(注:イベントは大成功でした)
でも、これが「モノ継ぎ」のはじまり。
小宮さん、改めて、あのとき声をかけてくれてありがとう。
モノとヒトを継ぐ、と言いながら、実は自分の心と人の心を継いでもらっていたことに気づいた2015年夏の終わり。
いろんな疲れが出る頃です。みなさまもどうかご自愛ください。。。
(2015年記)
⇩2011年 4月9日~12日まで函館で開催された、what ART anables〈 ART RESCUE 〉に参加した時のパネルです。